「どの弁護士さんに頼んだらいいかさっぱりわからないんです。」
これが一般の方の素直な意見だろう。
どんな先生なのか?得意分野も、キャリアも、人となりもわからない。
「頼むなら正義感が強く、親身になって自分を助けてくれる先生に頼みたい!」
あなたもそう思うと思います。
『尾張旭の弁護士』 ――菊田利昭、。
彼が特に得意とするのは『離婚問題』と『少年事件』。
ここにこだわる理由は、変わり種と呼べるその経歴から見えてくる。
「縁あって来られた方を全力で救う。それが私の役目です。」
ご縁と正義を生きがいにする彼が、きっとあなたの力になってくれるだろう。
たったひとつの願い。
「先生、俺の頼みをひとつだけ聞いてもらえませんか―――。」
各地で最高気温を叩き出していたこの日。国選弁護人としてある刑事事件の被告男性の
面談を行った菊田は、ある依頼を受けた。
覚醒剤所持の現行犯で逮捕されたこの男性は10年前に一度、同じく覚醒剤所持で執行猶予判決を受けている。
10年経っての再犯は執行猶予か、実刑かで言えば実刑は免れないのが通常のケースである。
「頼みって、どんなことですか?」
「・・・・実は、うちに重病の母親がいるんです。オレがいないと、何もできないほど弱っています。
勝手なのはわかってます。でも俺、どうしてもこのまま懲役に行くわけにはいかないんです!
お願いです、先生!助けてください!!」
被告人が懲役にどうしても行けない理由・・・・・・彼の母親は末期の癌だったからだ。
情けない・・・・・
「結局、俺の弱さなんです・・・・・」
接見でもそれを繰り返す被告のことを知るために、母親の元に出向く。
「・・・本当にご迷惑をかけて申し訳ありません・・・・・本当に先生には何と申し上げていいか・・・・」
菊田が訪ねた被告人の母親は病院でももうやれることがなく、今は自宅療養の身。
「・・・・医者からは・・・・余命1年は無理、おそらく半年ほどだろうと言われています・・・・なのに・・・
あの子はこんなときに・・・・・・情けない。本当に情けないです・・・・・先生・・・・・・」
申し訳ない、を繰り返す母親。
まだ70にもなっていない母親は病気のために痩せこけ、話すことすら苦しそうだ。
覚醒剤の事件とあって、他人に危害を加えたのではないことがせめてもの救いだ、と母親は言う。
菊田が尋ねる。
「お母さんの望みは何ですか?今日はそれをお聞きするために来たんです。」
母親は苦しそうにうつむいた後で、ゆっくりと顔を上げて菊田を見、そして言った。
「・・・・・・先生、お怒りになるかも知れませんが・・・・どうしても一つだけ、死ぬ前に叶えて頂きたいことが
あります・・・・・」
きぼう。
母親の涙ながらの思いを聞いた菊田が口を開く。
「わかりました。私もそうなって欲しいと今、思っています。ですからその方向で、私も全力で動きます。でもそのためにはお母さんにも
どうしてもご無理を言うことになります。一緒に頑張りましょう。」
菊田はその後、情状酌量を汲んでもらうために友人からも、そして母親からも情報を集めてまわった。
闘いの武器となるものは、そこしかないからだ。
10年前の逮捕時の記録確認も行う。だんだんと被告の本来の人物像も見えてくる。
被告人も本来は気持ちの優しい、周りに流されるタイプだということもわかってきた。
もちろん、更生のための環境もできる限り準備しなくてはならない。
「母親を証言台に立たせることは病状からもためらいました。
しかし、ここがどうしてもキモになる。 『私がやります』と言ってくれた母親の強い気持ちに心を打たれたんです。
そしてこの母親のために、絶対に執行猶予を勝ち取らなければいけない、そう思いました。」
息子の足跡。
“なんで同じ罪を繰り返してしまったのか・・・・・” そこが知りたかった。
菊田は母親に何度も会った。時にはアルバムを見ながら、息子の過去も聞いた。
「・・・・弱い子なんです・・・・昔からそうです・・・・友達の誘いなんかは絶対に断らないような・・・・
根っこの部分は・・・・・やさしい子なんです・・・・・」
母親の言葉から菊田は一人、息子が子供時代に通った小学校の周辺を歩いてみる。
近くをごく小さな川が流れ、ヘルメットをかぶった自転車の小中学生が行き交う。平和な町だ。
職場の友人にも聞いた。普段は真面目で欠勤もない。
“自分自身の弱さ”。そこに嘘はないだろう。結局、そこに行きついた。
不安。
菊田とのやりとりの前にも母親の病状が悪化し、病院へ運ばれたこともある。
「自殺行為だから止めなさい!!」
医者からそう言われても、母親は頑として譲らなかった。この世での最期の望みのために、
自分ができる最期の努力、それが裁判での証言。自分の口から皆さんに謝罪をしなければ
気が済まない、それができなければ死んでも死にきれない、そう繰り返した。
「私が全力でやりますから、お母さんは無理を絶対にせずに、まずは自分の体のことを第一に
考えてください。体力を温存しなければ戦えません。いいですね?」
母親のその日の体調の良し悪しは菊田にも痛いほどわかった。母親は一度も弱音を吐かない。
会うたびに母の強さを感じることで、菊田自身のモチベーションも上がっていく。
不思議である。ここまで来ると、まるで同志のような感覚なのだ。
リミットは、近い ――――――― 。
異様な法廷。
法廷。ここは親子の対面の場として、最もふさわしくない場所のひとつだろう。
親族や関係者が被告人の情状酌量を求めるために証言台に立つことは普通だ。
菊田は法廷をぐるっと見回した。何度もここに来ている菊田の眼から見ても、今日は一種異様な雰囲気に
包まれている。
母親は日に日に弱り、ついには歩くことすら困難な状況になっている。
菊田も何度も母親に辞退したほうがいいのではと尋ねた。
母親は最後まで首を横に振り続けた。
「母親として、あの息子を産んだ親としての責任がある。」と。
法廷の異様な雰囲気の原因のひとつが母親の姿。この日、法廷に立つ母親は病院から用意させた歩行器を使い、一歩ずつ前に進んだ。
パフォーマンスでも何でもない。そこまで弱っている母親の姿は誰の目から見ても明らかであり、苦しさの中の必死さが伝わってくる。
おそらく、それは裁判官とて同じだろう。
『どうしても執行猶予をとってやりたい』 ――――― 。
菊田の願いは入念な準備と、自らの強い思いとで武装されている。
ついに、この日を迎えたのだ。
息子との対面。
「証人、証言台へ。」
被告の母親は立ち上がり、一度目を閉じ、ふぅーっと静かに息を吐いた後、深々と一礼をした。
傍聴席が静かにざわめく。母親は歩行器を使って一歩一歩、必死で証言台まで進んだ。
被告である息子は、母の想像以上に弱り切った姿にショックを受けているのがわかる。
菊田が証言台まで同行し、ゆっくりと母親に告げた。
「私が付いてますからね。ゆっくりでいいですから、無理しないで話してください。」
「・・・・はい・・・・わかりました・・・・・」
そして母親はゆっくりとマイクに向かい、まさに絞り出すように声を出した。
「フゥッ、フゥー・・・・・皆様、私の息子が、この度は本当に・・・・・ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした・・・・・。
お詫びしてもしきれないことは・・・・・重々に承知して・・・・・おります・・・・・」
誰の目から見ても顔色はすこぶる悪い。母親は所々休みながら呼吸を整え、必死に言葉を繋いでいった。
「ハア、ハア・・・・・私事ですが・・・・私は今・・・・・末期の肺癌で、もう余命いくばくもございません・・・・・おそらく、
半年後には・・・・この世におりません・・・・・。フゥ、フゥ・・・・思い残すことは、ただただこの息子のことだけでございます・・・・・
まさか人生の最後に、このようなことを経験するとは・・・・フゥ、フゥー、ただただ世間様にお詫びするばかりです・・・・・・・」
静まり返った傍聴席にも緊張が走る。今にも倒れそうな老いた母親が必死の思いで話している。
“最後まで、何とか最後まで話させてあげてください!!” ―――― 。
菊田も知らず知らずの内に拳を握り、息を飲みながら母親が無事に話し切ってくれることだけを
祈り続ける。倒れるようなことがあればすぐに駆けつけられる準備だけはしているつもりだ。
命懸けの証言。
「フゥー、フゥー・・・・・私が今からお話することは・・・・・甚だ勝手なのは重々・・・・承知しております。
・・・・本当に・・・・申し訳ございません・・・・許されるならば・・・・・私の、人生最後の望みがひとつだけ
・・・・ございます・・・・・・・」
シーンと静まり返った中、法廷内の誰もが、この母親のかすれるような声を一言も聞き漏らすまいと
耳を傾けている。母親は苦しそうに、顔も上げられないほどの苦しさの中で眼には力を込め、一言一言を
発していく。それは、観るものの目を嫌でも集めてしまう。
「ハア、ハア・・・・・フゥー・・・・・この子が生まれたときのことを・・・最近何度も思い出すんです・・・・・
生まれる前から・・・・私達夫婦は本当に楽しみで・・・・・お腹のこの子に語り掛け、亡くなった夫とも
いろんな話をしました・・・間違いなく・・・・周りに望まれて生まれてきた大切な息子なんです・・・・」
息子である被告は終始うつむいたまま、顔を上げられないでいる。
「フー、フゥー・・・・・こんなバカでも、私にはたった一人の息子です。ですから・・・・お願いです・・・・私の最期だけは
・・・・・私の人生の、人生の最期だけは・・・・この息子にどうしても看取って・・・・看取ってもらいたいのです・・・・・。
それだけがこの情けない母親の・・・・最期の望みです・・・・・フゥー、フゥー・・・・・どうか、どうか、どうか・・・・よろしく
お願いいたします・・・・・。」
涙で頬を濡らし、最後はかすれるような声になりながらも、母親は全てを話し切った。菊田が駆け寄ったとき、身体は
小刻みに震えているのがわかる。今はとにかく、この母親の願いを叶えてやりたい。菊田が裁判長を見る。
傍聴席に目をやると、全員が泣いている。思いは皆、同じはずだ。
被告人は顔をぐしゃぐしゃにしながら下を向いて嗚咽をもらしている。その横顔と動く口元からは、
ごめん、ごめんと母親にひたすら詫びているように見えた。菊田自身も、溢れる涙が止まらない。
言霊弁護。
「自分の人生の最後に残された時間。そして最期の場面に、息子がそばにいることは必要です。
被告にとっても、一緒にいて最期の時間を愛を持って共に過ごさせ、母親の強い愛情、そして
息子への希望を伝えてもらうことは更生の何よりも強い、最善の道だと考えます。母親の強い思いを、
どうか、どうか汲んで頂きたい!そして・・・・」
菊田は一時の溜めを作った後、力一杯の本心からの叫びをぶつけた。
「最後の親孝行を、被告に全力でさせてやって欲しい!そう願います!以上です!」
菊田も最後は深々と頭を下げ、情状酌量を求める弁護を力いっぱい行った。全身全霊を込めたつもりだ。
今日だけは、傍聴席もすべて、自分を応援してくれている気がした。
今日だけは、たとえ判官びいきであっても執行猶予が欲しい。
やれることはやった。あとは結果だ――― 。
どんでん返しの判決。
「被告を懲役2年・・・・・執行猶予5年に処する!」
傍聴席まで含めた法廷全体におおっという静かな歓声と、安堵の表情が浮かぶ。
裁判官が理由を述べる。
「本来ならこのような案件はまず執行猶予は付きません。しかし、被告人を想う母親の気持ちを鑑み、しっかりと最期の親孝行をすることが、
何よりの更生事由になるということを期待し、執行猶予つきの判決になったことを、被告人は忘れずに生きていってください。
これからしっかりとお母さん孝行をしてあげてください。そして絶対に、再犯しないことをこの場であなたのお母さんに誓ってください。」
被告人、そして離れた場所の母親はともに深々と頭を下げた。
菊田の目にも涙が溢れる。もう、今日だけはこのままでいい。傍聴席も皆、泣いている。
稀に見る感動的な裁判は、こうして幕を閉じた。
そして母親はその4か月後、最愛の息子に看取られ、笑顔で天国へ旅立った。
●
「先生のおかげです。本当にありがとうございました。」
久しぶりに会った彼の顔は晴れやかだった。
「僕は仕事をしただけです。でも結果には満足しています。・・・・これからはあなたがお母さんに
恥ずかしくないように頑張らないとね。」
「はい。母の分まで、今度こそ本気で生きてみます。本当にありがとうございました。」
法律の仕事をしていると、こんな心に残るドラマが生まれることも多々ある。
弁護士・菊田利昭にとって、特にこの事件は忘れられない案件になった。
●
親からすれば、子供はいくつになっても子供だ。
『親子』そして、『子供』――― 。
菊田の弁護士としての活動は、この2つのキーワードがカギとなっている。
弁護士・菊田利昭。
愛知県弁護士会所属弁護士・菊田利昭。。前職は塾の数学講師という変わり種だ。
「子供が好きなんですよね。子供は本来みんな素直です。それに見聞きしたものや学習内容、
大人の愛ある助言でその子の人生は見事に変わります。やりがいのある仕事でしたよ。」
司法試験勉強の合間に働ける職場として、子供に比較的長く接することができる塾講師の仕事を選んだ。
元々子供好きなことと、教える、という自分の得意とすることで子供たちに自信をつけてあげられる喜びを
感じられると思ったが、実際にはそれ以上の素晴らしさを感じられる仕事だった。
親から「大きな目標を持て!」と言われ続け、小学6年生で弁護士を目指すことを決意。
「努力に勝る天才なし」という親の教えを聞きつつも、中学ではバンドに熱中しキーボードを、高校ではブラスバンドで
ホルンを担当。名古屋一の進学校から一浪して早稲田大学へ入学。大学では受験勉強の反動から遊びに走る。
友人四人とテニスサークルを作り、100人以上の所帯に。ほどほどにはモテた気がするが、そのツケで留年。
自信はあったが何度挑戦しても結果が出ず、結果なんと17回目の試験で合格。
苦労の末に念願の弁護士に。
弁護士事務所への勤務では不動産問題から民暴トラブルに至るまで様々な案件解決に奔走。
2011年に夢だった「菊田法律事務所」を設立。所長として動き出す。
強くなりたい!
小さい頃からヒーローものの番組や刑事ドラマが大好きだった。
『強きを挫き、弱気を助ける』 ―――。テレビの中から聞こえてくるこのセリフに、血沸き肉踊らせたものだ。
「僕も強くなりたい!」。
強さへの憧れは、やがて形を変えていく。ТVドラマの中で観た、弁護士の存在に、だ。
「ねぇ、お父さん。テレビの弁護士みたいになれば強気を挫き、弱気を助けられるの?」
「ああ。そうだよ。」
「じゃあ僕、大人になったら弁護士になるよ!」
「弁護士になるには、物凄く勉強して試験に受からないとなれないぞ。」
「わかった!勉強すればなれるんだね。じゃあ僕やるよ、勉強!」
父親からずっと「大きな夢を持て」と言われて育った快活な少年は、
小学6年生の夏のこの日を境に弁護士を将来の仕事と決めた。
夢に裏切られ続けた男。
「ちくしょう!!今年もまたダメか・・・・・いったい何がいけないんだ!?」
大学卒業後、挑戦し続けた司法試験。自信は常にあった。
その証拠に実際、択一試験はあっさりと通った。問題は論文。引っかかるのはいつもここだった。
毎年、寝る間も惜しんで勉強するのに、現実は厳しい。どうしても受からない。
生活収入を得るためにはどうしても仕事は必要。だから昼間しっかりと勉強し、夜は塾で講師として働く。
学生時代に友人の紹介で知り合った彼女と30歳で結婚。
彼女は家計を助けるため、助産師として昼夜関係なく働いてくれた。やがて長男を妊娠する。
このときには数年頑張れば合格すると思っていた。
しかし菊田はその後もずっと、暗黒の時代を過ごすことになる。
周りが少しずつ合格していく中で、焦りは当然あった。大ありだ。
この苦しみは並ではない。そう。もう10年以上も挑戦しているのだから・・・・・・・
子供に嘘はつけない。
人に教えることが得意で、しかも子供好きとくれば塾講師の仕事は天職と言える。
「先生。僕は将来警察官になりたいんだけど、なれるかな?」
「僕は社長さんになりたいんだけど、どんな勉強したらいいんですか?」
わからないことは調べて、丁寧に子供たちに伝えた。そしていつもこう言った。
「いいかい?努力は必ず誰かが見ているから。絶対に手を抜いたらダメだぞ。」
自分の一言が子供達の将来に大きく影響する可能性だってある。責任ある仕事だと思った。
「大丈夫。あきらめなければ、夢は必ず叶うから。できるよ。だから頑張れ!」
子供たちにはそう言い続けた。
司法試験への挑戦回数、なんと17回。
正直に言えば、惰性で受けた年もあった。止めたいと思ったことなど、数え切れない。
だが、あきらめたくなかった。受験に苦しむ子供たちに自ら言い続けた言葉を、自分が嘘にすることだけは
してはいけない。それが最後まであきらめずに貫き通すことができた大きな理由の一つだ。
周りの友人たちも、そんな菊田のことを『筋金入りの努力家』と言う。
妻のやさしさ。
「今年受からなかったら、もうあきらめようか・・・・」
弱気になって、妻に何度か言った。そんなとき、決まって言われたことがある。
『受かっても受からなくてもいいの。私は弁護士を好きになったわけじゃないから。』
溢れて来る感謝の気持ちを抑えながら、
「ごめん・・・・やっぱりここまでやったんだから、あきらめたくないんだ。頑張るよ・・・・・」
「あなたが望むようにしたらいいからね。ふたりで頑張ればいいんだから。」
妻の優しさが辛かったときもある。しかし、やるしかない。それはわかっていた・・・・・・・
先輩弁護士がくれた奇跡。
「菊田くん、今度一度僕に付き合わないか。」
「あ、はい。大丈夫ですけど・・・・・」
浪人時代のある日のことだ。
かつて中国残留孤児弁護団団長まで務めた人権派の北村栄弁護士からの誘いだった。
北村もかつてなかなか合格できず苦しんだ経験を持つ。それゆえに弁護士となってからは同じ苦しみを
持つ受験生たちにボランティアで講座を開き、教えるとともに様々な相談にも乗っている。
北村弁護士が連れて行ってくれた場所、それがNPO法人読書普及協会という団体の2周年記念
イベントだった。
本なんて、しばらく意識したこともなかった。講演あり、お薦めの本の紹介あり、そして今やテレビでも
『本のソムリエ』として引っ張りだこの清水克衛氏とのご縁もできた。
こんな世界があるのか・・・・と目を丸くすると同時に、
「何でもバランスって大事なんだよね。」
という清水の言葉に、肩の力が抜けた気がした。ああ、今までなんて狭い範囲で、バランスの悪い
日々を送っていたのか。そう思った。 それからは勉強もせず、本を読んだ。
進んでいろんな場所に出掛け、いろんな人物と話して刺激を得た。そこで気付く。
「今まで忘れていた、というよりあえて自ら見ないようにしていた場所に光を感じる毎日に、
なぜか不安よりも希望を感じている自分がいるんですよね。」
菊田はそんな毎日に、ある種の心地よさを感じていた。
結局この年はほとんど勉強もせずに試験を迎える。
「なるようになるさ」・・・・・・・ここまでリラックスして試験に臨んだことはなかったのだが・・・・・・
信じられない結末!
『合格』―――― 。
俄かには信じられなかった。勉強を全くしなかった年の合格。ここまで17年。
驚いたのは菊田自身だ。
妻に真っ先に電話した。嬉しさで少し手が震えている自分がわかる。
「もしもし・・・・・受かったよ。」
「ええっ!?本当に!?ホントなの!?ホントに!?」
電話口の妻の、聞いたこともないような変に狼狽した声に菊田は少し微笑んでしまった。
「・・・・・・・・待たせたね。今までありがとう・・・・・・」
助産師というハードな仕事をしながらずっと自分を支えてくれた妻に、初めて素直に言えた言葉。
「・・・・・必ず受かると思ってた。・・・・おめでとう。本当に、本当にご苦労様でした。」
電話口で、今度は妻が泣いているのがわかる。
上の子供も六年生になっていた。自分が弁護士を目指した、あの年齢だ。
“受かっても受からなくてもいいの。私は弁護士を好きになったわけじゃないから。”
精一杯の気遣いのあるエールをずっと送り続けてくれた妻。
きっと焦りもあっただろう。経済面のサポートに子供の世話。食事。加えて夜勤もあるハードな仕事。
この妻がいなければ、弁護士には到底なれなかったと思う。
出会いから15年。
感謝などという一言では言い表せない二人の歴史は、ここでようやく新たなスタートを迎えた。
ついに開いた、夢の扉。
運命と現実に翻弄されながら、ようやく掴むことができた夢の扉。
それは最後の一年で菊田を現実社会と結びつけた上で、最高の形で開けたと言っていい。
合格して、はっと気付いたことがある。
菊田は言う。
「たくさんの人に接して幅広い知識や見聞を得て、広い視野を持たなければ、弁護士なんていう
仕事は務まらないんだよと最後の1年で教えてもらった気がするんです。それを気付かせてくれるために
神が与えてくれた1年だったのではないかと思うんです。」
最近、久しぶりに会った幼馴染に言われたことがある。
「おまえ小学校の時に『僕は強きをくじき、弱気を助ける弁護士になりたい』って作文に書いてたもんな。
実現させるんだからすげえよなあ。」
弱きを助ける側に回ることは決めている。
弁護士になれたタイミング。この時こそが、真のタイミングだったのだと思う。
「離婚問題」と「少年事件」にこだわることの”ナゼ”?
努力の甲斐あって、夢だった弁護士になることができた。
ずっと職場で子供たちと接し、様々な悩みを聞いてきた菊田にとって、
守るべき最優先は子供たちだという思いが強い。
今は4組に1組が離婚する時代だと言われる。実際に離婚問題の相談は多い。
犠牲になるのはいつも子供達だ。
菊田は離婚問題についての判例を徹底的に研究し、来る案件にも積極的に
担当した。相談者を叱咤激励しながらも、夫婦の間で揺れる子供のことについてはいつも真剣に考え、
その時その時で最善の策を講じてきたつもりだ。
「だから子供たちを不幸にしないための「離婚問題」と「少年事件」を主に扱い、
積極的に関わっていっています。子供は親を選べません。そして親も苦しんでいる。
どちらの気持ちもわかるからこそ自分が両方の力になりたいと思うんです。」
この分野に賭ける思いはどんな弁護士とも違う強いものだ。だからこの分野を極めたいと心から思う。
菊田の強み。
離婚問題と少年犯罪のみではない。一般的に弁護士が扱う案件はもちろん対応する。
個人であれ法人であれ、関係ない。おおよそ下記のような案件だが、これ以外でも相談して欲しい。
●労働問題 ●契約書作成 ●マンション管理 ●各種紛争 ●交通事故
●海外案件
弁護士の先生というと、やはり一段高く見られるだろう。
この点、菊田は相談者と同じ目線で話し合えることを望んでいると言う。
「エリート意識なんて全くありません。実際違いますし。絶対にあきらめないっていう強さと、
苦しんだがゆえにあらゆる人の苦しみがわかる、それが私の強みでしょうか。どんな人にも
やさしく接することができると思っています。そして相談者の方と同じ目線に立って考え、
弱者の側から共に闘うことが信念です。」
優しさが前面に出ているスタイルを菊田がとっているのにはもう一つの理由がある。
菊田に強い影響を与えた人物の存在だ。
「絶対に、言うな。」
「おめでとう菊田君。これからこの世界でやっていく上で一言だけ助言してもいいかな?」
「はい。もちろんです。何でしょうか?」
ある食事会の席で言われたこの助言を、菊田は今も心に留めている。助言の主は北村栄弁護士。
そう。菊田に広い視野を持たせ、合格へのきっかけをくれた大先輩である。
「いいか、菊田君。今日からは絶対に『ノー』と言うなよ。」
「えっ?どういうことでしょうか?」 意味がわからなかったので素直に尋ねた。
「我々の元を訪ねてくるのは困っている人達だよな。ほとんどが初めて自分の身に降りかかった
トラブルの相談だ。それはそれは不安で、そんな不安に押し潰されそうな気持ちでやってくるんだ。
我々はそれをすべて受け止め、助けなくてはいけない。わかるね?我々が一言でもノーと言ったら、
場合によっては相手を絶望に追いやってしまう。これはいけない。弱者を助ける。これは我々の使命なんだ。」
「わかりました!肝に銘じ、これから精進します!」
北村弁護士の助言は嬉しかった。望むところである。弱きを助けるために弁護士になったのだから。
誰かが見ていてくれた!
弁護士・裁判官・検察官とで作る弦楽合奏団がある。『バロックアンサンブル』というこの楽団に経験者
である菊田も参加した。
まだまだ下っ端ゆえに人一倍走り回って雑用までこなす。
この楽団に参加できるだけで嬉しく、誇らしかった。
研修期間の後、ある法律事務所に採用が決まった。所長もバロックに参加している人物だった。
何人も面接を受けた中で、何故自分が選ばれたのかを所長に尋ねた。
「修習生のとき、菊田君の動きが一番良かったんだ。ああ、彼なら信じられる。そう思って目を付けて
たんだよ。」
人生何が幸いするかわからない。”努力は必ず誰かが見ているから”。塾の子供たちにも話したことが
本物となって自分に返ってきた。
人生は面白い。
奔走。
勤務した事務所の所長は優秀な弁護士だった。
まず事件の筋を読むのが抜群に上手い。そして落としどころを作ることも天才的に思えた。
落としどころと言うのは双方にとって納得できる条件を探ること。誰の目から見ても『こりゃあ絶対に難しいぞ』と
思われる案件でもしっかりと落としどころを作ってしまう。
説得方法にも抜群に長けていたこの先生から、菊田は盗めるものは何でも貪欲に盗もうとした。
不動産問題から離婚問題に借金問題。そして民暴トラブルに至るまで、この事務所ではありとあらゆる
案件の解決のために走り回る。順調だが忙しすぎる毎日。
それでも充実していたのは相談者からの感謝の言葉にあった。
「先生のおかげです!」
「先生が担当してくれなかったらどうなっていたか・・・・感謝します!」
つくづく弁護士と言う職業を選んでよかったと思ったものだ。
所長にも本当にお世話になった。今でもここでの経験は本当に役立っている。
しかし、自分の中でどうしてもやりたかったことがあった。
その実現のために、菊田は次のステップに進むことを決めた。
独立である。
独立!菊田法律事務所。
菊田が独立に選んだ場所。それは愛知県の尾張旭市。名古屋の東に位置するベッドタウンだ。
実家があるこの街には弁護士事務所が極端に少ない。ならばここから始めよう。
故郷を守らずして自分の使命など語れない、そう思ったからだ。
この尾張旭を拠点に、近隣の瀬戸・春日井・長久手・日進、そして名古屋に活動を広げていくことが
当面の目標になる。
「『離婚相談』と『少年犯罪』絡みの事件は得意としていますから
特にご相談頂きたいと思っています。とにかく子供達を守ること、
そして犯罪を犯してしまったなら更生させること。子供は大人次第で
良いようにも悪いようにもなります。だから僕は積極的にこの2つに
関わっていきたい、そう思います。」
子供のことを最優先に考えた離婚への取り組みを菊田は行う。父親も母親も、
ひとりになったときに最終的に力になってくれるのは子供だけ。
子供を守っているようで、実は子供に守られていることを、親は離婚を通じて知ることになることを菊田は知っているからだ。
「暴力団絡みのトラブルにも対応できるように動いています。暴力で他人の生活を脅かす行為は
あってはならないものですから、暴力団関係者の依頼も受けませんし、暴力や脅しを受けたなど
何かあればご相談ください。」
こんな相談も。
暴力関連では「営業しているレストランを明け渡せ」と営業妨害のためのチェーンを張られてしまったという案件や、
マンション大家さんからの賃料が払われないための立ち退き訴訟、離婚問題で親権が取れなかった母親が
子供をさらってしまった案件、相続問題で揉める大家族。
様々な案件にはそれぞれにドラマがあるのだが、忙しく動き回る日々は変わらない。
走り回っている姿こそが自分らしい。自分でもそう思う。
「こんなこと相談していいのかな?と思うようなことでも気軽に相談して欲しいですね。
人がどう言おうと、あなたにとっては大切な問題のはずですから。」
菊田を知る人々。
司法試験に挑戦した回数・17回。
挫折から這い上がった者は人にやさしくなれるのだと聞く。
ならば菊田ほどの挫折経験ならばどれほど人に優しくなれるのだろうか。
事実、周りに彼を嫌う人間を聞いたことがない。
名古屋コーチング界の重鎮・ソーシャルコーチングセンター(株)のゆうき澄江社長は言う。
「優しい人です。菊ちゃんはいつもニコニコして私たちの相談にも答えてくれる。
この人の笑顔はまわりをほっとさせてくれるの。頼れる、心強い友人です。」
いざとなれば我々がお世話になる菊田だが、逆に菊田に何かあれば、皆が駆けつけるだろう。
そんな男である。
子供達との付き合い方。
「お帰りなさーーい!!」
家に帰ると2人の子供たちが上から下りてくる。菊田が遅い食事をとっている間も、子供たちはこぞって
話を聞いてくれと寄ってくる。関係はいたって良好だ。
「子供の話はしっかり、とことん聞くこと。それが信頼関係の元ですかね。どれだけ疲れていても、
彼らは待ってくれていたわけですから、しっかり聞かないと。(笑)」
休みの日には上の息子は野球に出かけてしまうため、妻と下の娘と3人でよくカラオケに行く。
得意なのは沢田研二にハウンドドッグ。コブクロも好きだ。
仕事がうまくいった日は一人、浪人時代からの馴染みの居酒屋に行く。
そこで味わう日本酒も決まっている。それが岐阜の「三千盛(みちざかり)」。
「味が気に入っているのと、明日からさらに気を引き締めて頑張ろうと思う時に、辛口の
三千盛がキッと自分を引き締めてくれるんですよねぇ。」
誰にも邪魔されない一人だけの時間は宝物。
酒好きなために、ついつい飲みすぎる日もあるが・・・・・
10年後の菊田利昭。
菊田は十年後の自分のイメージもおぼろげながらできている。
今まで関わってきた人たちに恥ずかしくない弁護士人生を歩んでいくことだけは決まっている。
「目の前の方を全力で救う。シンプルですが方針と聞かれれば、それが私の方針です。」
趣味で始めた己書道の世界でも、自らの雅号を「法心(ほうじん)」と付けた。
“心のある弁護士”、そうなりたいという菊田の思いが込められた名前だ。
弁護士選びの観点とは何か。
裁判の強さ、そして解決までのスピード。それに何よりも相談者目線で考えてくれて、
かゆいところに手が届く対応をしてくれることだと考える。
無論、彼なら、それを満たしている。
最後に。
ある日の講演会場。菊田がいつも人に話すことだ。
「自分を信じていたんじゃないんです。周りが僕を信じてくれた。僕はその人たちを信じているから必ず受かると
信じられました。・・・・だからこの言葉を皆さんに言わせてください。」
「あきらめなければ、夢は必ず叶うんです。」
壇上で語るその言葉は、菊田だからこそ口にできる、愛と可能性に満ちた言葉なのだと思う。
『強きを挫き、弱気を助ける』 ――――。
この言葉を初めて耳にした日から40年近く経った今も、自分の中では寸分もブレてはいない。
あなたがもし悩み苦しみ、力になってくれる弁護士を探しているなら、杓子定規な対応をせず、
苦しみの本当の意味を知り、愛に満ちた男を選ぶことを勧めたい。
彼ならば全力で、苦しんでいるあなたの力になってくれるだろう。
それが菊田利昭だ。
文責/近藤直杜
心理カウンセラー/組織分析士/コピーライター。名古屋で家族の問題から
目的が見えない若者、経営者まで悩みの解決を手助けすると共に、企業人事、
能力開発、人材採用、顧客のプロファイリングまで多岐に渡って活躍。
個人カウンセリングにおいては気持ちが楽になった先の、具体的な一歩を
クライアントと共に創り上げていくプロデューサー的手法が高い反響を得る。
同時にコピーライターとしても多方面で活躍。彼が書くコピーは必ず結果を出す
とされ、数々の実績を誇る。
http://ebiss.jp
「自分を、そして家族を守るのはあなた自身です。」
――― 菊田利昭
生きていれば例え自分に非はなくとも、予想もしていなかった様々なトラブルに巻き込まれることが多々あります。
あなたにひとつご質問します。
『大きなトラブルが起こったときに、あなたが相談できる相手はいますか?』
大切なのはそこです。
もし家族や親戚、そして自分に何かがあったとき、「あの人に相談したら何とかなる」と
いう人がいる安心感があればどうでしょうか。
そして困っているお友達に「大丈夫。何とかしてくれる人を私が紹介してあげるから」と
言える安心感があれば理想ですよね。
生きていく上でこの2つの安心感は、あなたの心の力強いサポーターになります。
私は人の心の痛みがわかる弁護士になりたいと思い、今活動しています。
あなたが安心して暮らせるように、そして万一のことが起こった時に全力でお力に
なれるように、常にオープンな気持ちでいます。
私は今、あなたのことを知りません。
しかし今、あなたには私の存在を知って頂きました。
だからぜひ、私にあなたの存在を知らせてください。
そして、このご縁をお互いに大切にできるようになれたら嬉しく思います。
あなたとご家族の一生の安心を、私に預けてください。
菊田利昭
FAX 052−726−8017